あしみのゲートウェイ

ひろいこころでコラムを書いています。

僕はもう会社でとっくに頭がいい人ではなくなっていた

これまでの学校や会社の中で私は「そこそこできる」人だった。

「そこそこできる」というのは、成績だったら上から数えた方が早いし、仕事も要領よくこなすことができていた。

日常でも「俺ってけっこう頭いいな」と思うことがちょこちょこある(頭のいい人は自分の頭がいいことを知っているし容姿がいい人は自分の容姿がいいことを知っている)。

 

私は要領がいいのだ。要領がいいから努力しなくてもそこそこできるし、努力したら大きな成果がでる。

 

過去に「そこそこできる自分」が危うくなったとき(つまり、自分がやっていることがぜんぜんうまくいかないとき)があったが、それも結局は「そこそこできる」ようになった。というのも、要領がいい人は真似ることがうまいのだ。

うまくできないことは、うまくできる人のやり方を上手にマネればいい。

 

大学生ときに営業のバイトしてて最初のころはまったく売れなかったが、売ることができている社員のマネをしたら、売れ始めたことがあった。

そのときは、自分で売れるようになるまで結構時間がかかったが、結局は「そこそこできる」ようになったので、やっぱ自分はそこそこできるんだなと感じた。

 

しかし今では自分の限界も知っている。

物事を考えているときに自分で思考を整理整頓できなくなる地点がはっきりとある。考えていることの要素とその要素ごとパターンみたいなものが増えていくと、ある地点で自分では処理できなくなる。

 

大学のときには自分より頭がいい人(自分よりも思考が深い人)がたくさんいた。当たり前だが教授のことだ。教授は私の何倍も思考が深く、私には測れないほどの多くの要素をコントロールして思考していた。

それを目の当たりにしたときにやっと、私は「すごく頭のいい人」がいることを知った。努力とかそういうものではなく、IQが高い人が世の中にはたくさんいて、私はたいしたIQではなかった。IQが高い人は私なんかよりもぜんぜん高いレベルで思考している。

IQをテストで測ったわけではないが、すごくそんな気がした。

 

でも会社に入ったら、やっぱりそこそこできた。

そこそこできたので将来をそこそこ期待された。自分はやっぱり頭がいいと思った。

しかし、結局は「そこそこ」止まりだ。

 

そこそこの成果で膨大な評価が得られるのは入社した最初の何年かだけで、そのあと何年かしたらそこそこの成果ではそこそこの評価しかもらえない。

 

会社にも自分より頭がいい人がたくさんいた。

私は自分よりも頭のいい人を超えられない。もうこれからずっと、そこそこの成果しか出せないのだ。

 

自分の今の考えでは、IQは生まれ持つもので、例えば私が何か努力とかトレーニングとかしてみても、大学のころに圧倒された教授の思考能力を得ることはできないと思っている。

 

そこそこな私が入社したそこそこな会社は、私の脳みそを遥かに超える頭のいい人がいるから成り立っていた。

多くのそこそこな人を、抜群に頭がいい人がまとめ上げていたのだ。

私はもう会社でとっくに頭がいい人ではなくなっていた。

もうずっと「そこそこできる」から変わることはできない。