ブログあしみの

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モノを大切にする≠しまいこむ 大切なモノでもちゃんと使うべき

コドモエという雑誌を見ていたら、「モノを大切にする≠しまいこむ」という見出しが目に入った。この雑誌の34ページ。

kodomoe(コドモエ)2016年 4 月号

白泉社 (2016-03-07)

コドモエは子育て雑誌で、「子どものお片づけ」がテーマの記事にこの言葉が載っていた。見出しはこう続いていた。

子どもは好きなおもちゃで遊びながら自分自身の世界を築いていきます。それぞれの世界観にあう「おうち」を! 広げて遊ぶおもちゃであれば、途中のものをそのまま収納できるスペースに、今日遊びたい友達と遊べなくても、明日は遊べるという安心感を育みます。
(コドモエ 34頁)

この文章は私は読んでもイマイチ何がいいたいのかわからなかったのだが、「モノを大切にする≠しまいこむ」という見出しには大変共感した。共感したというか、「大切なモノをしまい込むもったいなさ」を気付かされた。

大切なモノをしまいこむ

私は人からもらったものは大事にしまいこんでました。「使うモノ」「着るモノ」を大切にしまいこんでしまっていました。特別な人からのプレゼントなんかは特に。

ですけど、ちゃんと使った方がいいんですよね。もらった大切な洋服が痛むのがイヤで着ないでとっておいてたんですけど、それしまいこんでおいてどうすうの?って話です。死ぬまでとっておいて棺桶に入れてくれとでもいうのか。

もらったときの嬉しさってどうしても時間ともに薄れていきます。それで、大事にとっておいたものを数年後に見つけて「もういい加減に使うか」という気持ちで使ってしまう。それでいいのか?

大切なモノを最高に大切に感じて使う

ダメでしょ。もらったときはすごく嬉しくてしまいこんで、数年後に惰性で使ってしまう。もったいない。

もらったものはその嬉しい気持ちが大きいうちに、嬉しい気持ちで大切に使う方が絶対いいですね。

そんなことを思ってこれまでの人生を反省しました。まずは大切にしまっていた靴下から大切に使います

その靴下がボロくなったら感謝と共に捨てればいいんですよ。そのときにはきっと新しい大切なモノをもらっているから。大切なものを大事に使う循環を繰り返していくことで豊かな人生が遅れるような気がしました。