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「青々しい色香」が「大人の色香」に変わる瞬間

自分に大人の色香が出てきた。そう思ったら、大人の色香とは何かを問われた。

自分では確実に「大人の色香」が備わったと思っていたが、実際考えてみると全然そんなことなかった。さすがの私もこれにはびっくりした。

 

 

子どものまま何も変わっていない

子供の頃、大人たちは自分とは大きく違っていた。「大人の世界」の人になるには通過儀礼が必要で、通過儀礼が済めば大人になれると思っていた。通過儀礼が何なのかはわからないが、何かを経験することで「大人の世界」の人になれると思っていた。

四捨五入で30歳になり、私は子供ではなくなった。しかしこれまで「これだったのか!」というのような、大人になる瞬間の「通過儀礼」はなかった。たしかに、10代半ばと20前半に自身の人格形成が大きく進んだ時期はあった。人格形成が通過儀礼だったと言われればそうとも言えるが、しっくりこない。子供の頃考えていた、子供とは全く違う「大人の世界」はここにはない。人格形成が完了した子供のまま、いつのまにか大人になってしまった。詰まるところ、子どものまま何も変わっていない。

 

私を定義する情報が私を変える

10代半ばから20代前半に確かに存在した私の「青々しい色香」はもうない。「30手前の男には『青々しい色香』は似つかない」という事実だけが、私に「大人の色香」をもたらす。何も変わっていないのだ。何も変わってない。 

私を定義する情報が、本質を無視して「私の色香」を「大人の色香」に変える。 

 

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