自分に大人の色香が出てきた。そう思ったら、大人の色香とは何かを問われた。
@schnein ちょっとそれ言葉で表現してほしい
— ポンコつっこ (@ponkotukko) May 25, 2014
自分では確実に「大人の色香」が備わったと思っていたが、実際考えてみると全然そんなことなかった。さすがの私もこれにはびっくりした。
@ponkotukko 本質的には何も変わっていないね。暦の上ではもうアラサーなので、「自分がアラサーだ」という事実が、自分に大人の色香が出てきたと感じさせているだけだよ。何もかわっていない
— あしみのしゅな (@schnein) May 25, 2014
子どものまま何も変わっていない
子供の頃、大人たちは自分とは大きく違っていた。「大人の世界」の人になるには通過儀礼が必要で、通過儀礼が済めば大人になれると思っていた。通過儀礼が何なのかはわからないが、何かを経験することで「大人の世界」の人になれると思っていた。
四捨五入で30歳になり、私は子供ではなくなった。しかしこれまで「これだったのか!」というのような、大人になる瞬間の「通過儀礼」はなかった。たしかに、10代半ばと20前半に自身の人格形成が大きく進んだ時期はあった。人格形成が通過儀礼だったと言われればそうとも言えるが、しっくりこない。子供の頃考えていた、子供とは全く違う「大人の世界」はここにはない。人格形成が完了した子供のまま、いつのまにか大人になってしまった。詰まるところ、子どものまま何も変わっていない。
私を定義する情報が私を変える
10代半ばから20代前半に確かに存在した私の「青々しい色香」はもうない。「30手前の男には『青々しい色香』は似つかない」という事実だけが、私に「大人の色香」をもたらす。何も変わっていないのだ。何も変わってない。
私を定義する情報が、本質を無視して「私の色香」を「大人の色香」に変える。