残業はクソだ、世の中の残業にはクソではない残業もあるかもしれないが、少なくともこれまでの俺の残業のすべてはクソだった。
新卒で入社して29歳になった。今ならそれがはっきりとわかる。
残業は心身が衰弱する。
言うまでもなく、残業は心身を疲弊させる。
朝、目覚めたとき気力にあふれているか?心身の疲労が抜けているか?やる気が溢れているか?朝食を楽しめたか?今日という1日が楽しみに思えるか?
私が健康障害のリスク高いと言われるほどの残業※をしていたときの毎朝は最悪だった(※ 月45時間、それ以上長くなればなるほど健康障害のリスクは高まる 過重労働による健康障害を防ぐために - 厚生労働省 より)
眠りが浅く、何事も楽しめず、食欲もなく、胃腸の調子が常に悪い。
致命的な症状ではないものの、毎日が辛かった。この心身が疲弊している状態が長く続くと、致命的な症状になるのではないかという恐怖もあった。
脳とか、心臓とか、突然死んでしまうやつだ。長期的に過度のストレスがかかっている状態で、日常生活が破たんするような心身の病気になることが怖かった。
健康は命よりも重い。
定時帰りは幸福に直結する。
ツイッターで見かけたツイートにスマホを操作する指が止まる、私も似たような経験があったからだ。
定時退社凄い……。家事雑事を一通りこなし、溜まっていた書類仕事を終え、艦これのデイリーを消化し、ジャンプを読み、アニメを3本見て、新デッキの構築をした上で7時間睡眠を確保できる……これが一部の特権階級のみに許された健康で文化的な生活……
— しろは (@shiroha08) August 8, 2016
定時退社はすごい、何がすごいかというと「生活」ができるのだ。「健康で文化的な生活」。日本国憲法第25条、生存権「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
「健康で」「文化的な」最低限度の生活を営むことができているか?
残業は健康を阻害する。私自身、残業しすぎて心身が衰弱したことがあった。残業により「生活」が奪われ、「健康」が奪われる。
1日1日の生活の中で、仕事が終わったら家族と過ごし、家事をし、自分の楽しいことをする。これも当たり前のことだ。23時に帰ってきて、疲弊しながら風呂に入り寝るだけの生活のどこが健康で文化的な生活なんだ。
はっきり言おう、定時帰りは幸福に直結する。
給料が下がらなかった感情の行き場がなかった。
仕事は苦しいことに耐えることではない、価値を生み出すことだ。
私の仕事はプログラムのソースコードを書くことで、品質の高いソースコードを書くことが仕事の成果だ。
ある数か月間、私だけ残業を完全に制限されたことがあった。ここでは制限された理由は書かないが、そういう期間があったのだ。そのときは毎日定時に帰っていた。
1日の労働時間が12時間から8時間になった私は、品質の高いコードを完成させることができなかった。
労働時間が少なくなった分、ストレスや疲労は減り、仕事中の集中力は増した。
しかし、集中力が増したところで8時間で12時間分の成果を出すことは不可能だ。
もちろん、残業制限がかかることで私にふられる仕事量は減った。しかし仕事の減少分は、労働時間の減少分(12時間→8時間)に相当するものではなかった。労働時間は4時間減ったが仕事量は1~2時間分しか減ってない、というのが私の感覚だった。
もちろん、私の成果物の品質は低くなる。成果物の品質が低いと商品にならないので、修正する必要がある。通常、成果物の品質が低い場合、それを担当した者が修正をする。
しかし、私には修正をする時間がなかった、残業ができないからだ。なので、他のメンバーが残業して私の成果物を修正するようなことが起こってしまった。私の仕事の質の悪さを他のメンバーがさらに残業をしてカバーしていたのだ。
私は申し訳ない気持ちになりながらも、定時に帰っていた。
後に驚愕したことがあった。残業ゼロの期間、成果物のレベルは著しく下がったにも関わらず、私の給与・賞与は残業をしているときと変わらなかったことだ。
給与は毎月一定額なので下がらなくて当たり前だが、問題は賞与だ。賞与というのは一般的には報奨金であり、個人の成果が大きく反映するものだ。
私の場合「残業をして成果が大きいとき」と「残業ゼロで成果が小さいとき」の賞与の差がほとんどなかった。残業ゼロになって賞与が下がること(半減とかそれくらい)を覚悟していた私は、賞与の金額を見たときはすごく嬉しかった。賞与が減っていなかったからだ。
しかし、次にくる感情はこういうものだった、「なぜ残業していたときと賞与が変わらないのか? 残業しても賞与は増えないのか? 残業ゼロで成果物が低くて他のメンバーに尻ぬぐいをしてもらっても、私の賞与は同じなのか?」という感情、虚無感だ。
残業ゼロでこれまでと同等の賞与をもらえたとき、これまでの残業のすべてを否定された気がした。私が残業してまで出した成果はどこに消えたんだ? 給料は変わらないのに、なんでこの人達は残業しているんだ?
なんのために残業しているのか?
残業は終わらない
これもよく言われることですが、どんなに生産性を高めて仕事を早くできるようになっても、残業はなくなりません。
仕事の成功の報酬はさらなる仕事。仕事が早く終わっても、新たな仕事で残業をすることになる。
残業は企業の風土です。残業が当たり前の会社、残業前提でスケジューリングする会社からは決して残業はなくならない。
残業が嫌な人はとっくに会社を辞めている。会社にいる人は「残業を問題としない人」「残業を問題としているが解決できない人」しかいない。そのような人たちが集まった組織では、残業は決してなくならない。
残業して稼いだ金で子供を育てたくない。
こんな私にも子供がいます、まだ小学校に通っていない幼児です。
「論理的にそれ正しいの?」と言われると正しくないような気もする話をこれからするんですけど、私は残業して稼いだ金で子供を育てたくないんですよ。
私は残業が嫌で、本当に心から残業したくない。
だから、私は残業して稼いだ金で子供を育てちゃだめなんですよ。だってそんなことしたら、私の子どもが将来、残業することになってしまう。私が残業前提で働いて子供を育てていたら、将来は何も変わらない。何も変わらず、自分の子どもにも同じように残業が当たり前の働き方をさせてしまう。
親の働き方と子供の働き方が直結するなんて思ってはいない。
でもだめなんだよ、今ここで自分が働き方を変えないと。私の会社にも「なんでこんなに残業してるんだろうね、ダメだよね」なんていう上司がいるけど、あなたがそのまま変わらなかったら、次の世代だって同じ働き方をしてしまう。その一人が私だ。残業がダメだと思うんなら、今ここであなたが働き方を変えないとダメなんだよ。私がここで変えないと、次の世代も同じく辛い思いをしてしまう。
そういうわけで、自分が残業して稼いだ金で子供を育ててしまうと、子供にも同じような「働き方」だったり「家族の役割(お父さんはお仕事が大変で帰りが遅い)」を強いてしまうような気がしています。今ここで変えないとだめだ。せめて自分だけでも。
残業を駆逐してやる。この世から1時間残らず
— あしみのしゅな (@schnein) August 6, 2016
そもそも私は子どもがどうたらという前に私はもう金輪際残業をしたくない、絶対にしない。「残業をしない」ことの優先度は私の中でかなり高くなってきている。定時帰りは幸福に直結する。残業なんかに平日の夜に家族で食事を取る時間を奪われてはいけない。
もう会社辞めよ~~~☆
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