秀でている人間だという誤解
小学生の頃ならば「(ある分野において)自分は特別ですごい人間だ」と心から思っていたかもしれない。だが、その多くは成長するに連れ「ああ、自分はそこまで大した存在ではなくて、大勢いる内の1人なのだなあ」と考えるようになる。
それはほとんどの人間で自明なことだ。自分が見た他人がそうであるように、自分も突飛して秀でた存在ではないのである。
クラスで何かで一番になれたとしても、各クラスにそれぞれ1番がいる。各小学校ごとに一番がいて、日本の1番になれるのは1人だけだ。ちょっと特別だからってそれは小規模な特別であって、大した特別ではない。
つまり、自分が本当に特別な人間である可能性/将来性はかなり低い。それと同じように、自分自身がある分野で劣っていたとしても「自分が本当に特別に劣っている」ということは、まずない。
劣っている人間だという誤解
しかし、多くの人はこれを勘違いしている。自分が苦手な分野において、あたかも自分がこの世で1番劣っているように感じてしまっている。
「あなたが特別秀でている」ということがないことと同様に「あなたが特別劣っている」ということはない。
たまーに遭遇するのだが、「あなたが特別秀でている」ことを頑なに否定し「あなたが特別劣っている」ことを信じこんでしまっている人がいる。謙虚を通り越して自己否定がものすごく強くなってしまっている人だ。
このような人に会話/言葉で自信をつけさせようとしても、言葉が通りすぎてしまうだけだ。その人は自分が劣っていることを本当に信じ込んでいる。
あなたが特別劣っていることは、あなたが特別秀でていることがないのと同じように、ありえないことなのだ。その誤解から脱出して、普通ということに誇りを持って生きて欲しい。
あなたがものすごく劣っていると思っていても、大して劣っていない。自分が「この世で1番劣っている」と表明することは、自分が「この世で1番秀でている」と表明することと同じように傲慢なことである。
なので、劣っていると思わずに自信を持って毎日頑張って生きよう。