自己紹介を「頑張ります!」でしめたら、「頑張らなくていいよ、結果が出せれば」と言われた。全くその通りだ、求められるのは結果だ。頑張っても結果が出なければ意味はない。
しかし私はわからなかった、頑張らずに結果を出すにはどうしたらいいのか。私が結果を出すには「頑張る」という手段しかなかった。私の頭は困惑で満ちる。「頑張らなくていいよ、結果が出せれば」の意図はなんだ、ウェルカムジョークだろうか。しかし、誰1人笑っていなかった(ジョークの多くは、他者に理解されない)。
その困惑は続いてしまう。私と同様にあの場で自己紹介した仲間もあの言葉を聞いている。彼らはあの言葉をどう受け止めたのだろうか、「頑張らずに結果を出す方法」を彼らは知っているのか。あのとき彼らに確認しておけばよかった。彼らからその方法を聞き出していたら、今頃私は巨万の富を築いていただろう。だが確実なことは、あの場にいた仲間の少なくとも全員が、大学教授の言葉など聞き流しているということだ。しかし存在するはずだ、哲学の教授が軽く口にした言葉で7年以上も困惑している人間がいるのだ。少なく見積もっても、私1人を含めた総勢1人は存在する。みな悩んでる。
私を含めた多くの迷える子羊のために、私は仮説を立てた(私は優しい)。この社会を生き抜くためには「頑張らなくても成果が出る仕組み」を作る必要があるのだ。なぜここまで近代化しても、頑張らねばいけないのだ、頑張ることは大変だ。しかし結果は必要だ。結果がでなければ、文明は停止する(例えば食料の生産が止まって死ぬ)。
しかし、例によってあの問題が発生する、「鶏か卵か」だ。「頑張らなくても成果が出る仕組み」を作るには、「頑張って仕組みを作る」ことが必要だ。結局、頑張らねばいけないのだ。がんばろう。明日もがんばろう。
「頑張らなくていいよ、結果が出せれば」は、所謂一つのアカデミックジョーク(大学入学者への洗礼)なのだ。
※この記事も頑張って書きました。
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