小学生の頃から両親を名前で呼んでいる。独立した今でも「名前 + さん(例:宏さん)」で呼んでいる。
最初に両親を名前で呼んだ時は「呼び捨て」だった。しかし、「さん」を付けろと指導され、それ以降「さん付け」で呼んでいる。覚えていないが、おそらく幼児期は「パパ・ママ」とか「お父さん・お母さん」とか呼んでいたのだろう。何がきっかけで両親を名前で呼び始めたかは覚えていない。
普通はパパママ??
しかしどうやら、両親は「パパ・ママ」とか「お父さん・お母さん」とかの「自分との関係を表す言葉」で呼ぶのが普通らしい。両親を名前で呼ぶ人は少数なようだ。
「パパ・ママ」「お父さん・お母さん」(=自分との関係を表す言葉)を、ここでは「役割称」とでも言うことにする。
私は「役割称」で両親を呼ぶことに違和を感じている。「役割称」で両親を呼ぶのは失礼ではないか? それは、1人の人間に対して、問答無用でその「役割」を押し付けることになるからだ。両親は「父・母」の役割を持つ前(あなたが生まれる前)から生きており、たまたま人生の一部で「父・母」の役割を果たすべき時間ができただけだ。両親は「父・母」である前に、人格(≒名前)のある人間なので「名前」で呼ぶべきだ。
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【味の素】料理は母親の仕事だろ【CM】 - Togetterまとめ
「日本のお母さん」というCMが話題になった。話題になった理由は、「ごはんをつくるのはお母さん」という「性別役割分業(男は仕事、女は家庭)」を日本国民へ強制する内容だったからだと私は理解している。
では、両親を「父・母」と呼ぶことも、批判されたCMと同じように「既存の恣意的な行動規範」を強制的に相手に求めることになるのではないか?
「父・母」という「役割称」には強烈なイメージ・行動期待がある。両親を役割称で呼ぶことで、「父」として「母」として、そして「親」としてやらねばいけないことの膨大なイメージを、強制的に1人の人間に押し付けているのだ。両親は人格を尊重し、あなたを「子供」とか「長男」とか呼ぶのではなく、「名前」で呼ぶにも関わらずだ(一般的に、親は子供を名前で呼ぶらしい)。
しかも、あなたに子供が生まれた場合、見計らったように「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼び始めるのだ。「父・母」の役割はもういいから、「おじいちゃん・おばあちゃん」の伝統的役割規範に基づいた行動をよろしくね!!私が何を期待しているかわかるよね!!とでも言っているようだ。既存の強烈なイメージを相手に押し付けることは、問題となったCMと同じで望ましいことではない。
役割を押し付ける??
しかし問題がある。自身が自立するまで、両親に「父・母の役割」を果たしてもらう必要がある。赤子は両親から「父・母」の役割規範に基づく行動を享受しないと生き延びることができない。
両親を「役割称」で呼ばなかった私だが、幸運にも「父・母の役割規範に基づく行動」享受でき、ここまで生き延びる事ができた。私はよかったが、自立前に「両親を名前で呼ぶこと」はリスクを伴うのでおすすめできない。両親から「父・母」の役割が受けられなくなるかもしれないからだ。両親を「名前」ではなく「父・母」と呼ぶことは、子供たちの生存戦略の1つなのかもしれない。
私が両親を名前で呼んでいたにも関わらず、無事成人できた手法の解明が待たれる。その手法が確立すれば、全国の子供を持つ両親は「父・母」という「強烈なイメージ・期待される行動規範」から解放され、より自分らしい人生を送ることができる。
成人した皆様は、たまには両親を名前で呼ぶのもいいのではないか?既存の関係性(親⇔子)から解放された、より2人らしい、より2人が望む関係が構築されるかもしれない。お盆で帰省したときなんて、ちょうどいい機会ですね。
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