親のから受けた無償の恩を、子に返す。
せだいかんりんり【世代間倫理】
未来世代(子孫)の利益を保護するために現世代が一方的に負うべき義務について論じる倫理の一分野。環境保護が主たる対象となる。
「次世代の利益=自分が親世代から受けたように、子供を”無償”で自立するまで育てること」だ。子育てをする人は素晴らしい。自分が親世代から受けた恩を、自分の子世代に返す。そして、世代を跨ぐたびに豊かになる(一般に、世代を跨ぐたびに豊かになるらしい)。
次世代のため(我が子のため)に働く?
そこでだよ。私は次世代のために労働する訳ですよ。でも残念ながらそれが過重労働なんですよ。しんどい。健康障害しんどい。
そこでだ。自分の子供が大人になったときに、今の自分と同じ労働環境に置かれるを考えてみる。
いやぁ、自分の子供にこんなしんどい思いはさせたくないね。しんどいよ過重労働。夜遅くまで働くなんて、正気の沙汰じゃないよ。今21世紀だよ?日本先進国だよ?18時に帰って家族でご飯食べなさいよ。そんな働き方してたら体壊すよ。平日毎日22時なら休日にエネルギー無いでしょ。土曜日もでるの?子どもはあなたと遊べなくてかわいそうじゃないのって。
そこでだ、じゃあ自分はどうなんだって言う話ですよ。子供にさせたくないを思いを、まさに子供のため(=次世代のため)に自分がしている訳よ。
エゴだね。これはエゴだ。自分がよければいいんですよ。でも、エゴでもいいんだ。自分が頑張っちゃえば何とかなるから。子供にして欲しくない思いを「自分だから」甘んじてしているのよ。「子供にこうなって欲しくない」手段(過重労働)を使って、自分は子供を養育してしまう。自分の子供はこんな手段使わないことを信じて。
「自分が良ければいい」の重大な欠陥
しかし、親世代からみたら破綻しててる。自分だって「子世代」だから。自分が親世代になったことを考えてみなさいよ。
「子供に望まない働き方を、自分がしている」=「自分の働き方を、両親は望んでいない」
「自分がよければいい」が、成り立っていない。親世代から見ればその働き方が許されないからだ。親世代からの望みが叶っていない時点で、もう成り立たない。自分は「親世代」であると同時に「子世代」だからだ。
親世代の望みが叶わないと、ドミノ倒しのように、小世代へ向けた自分の望みは叶わない。現に今、親世代の望みは叶っていないからだ。
ドミノ倒しをどうやって止める?
子世代の「労働観」は専ら親から作られる。親世代は速やかに適切な労働環境に自身を置かないとだめだ。それこそ「そのまま子世代に引き渡せる労働環境」に、「親世代が自身に望む働き方」に変えないといけない。
早く自分の労働環境を、自信を持って次世代に引き渡せるようにしたい。
「こういう働き方が持続可能な幸福を生み出すんだ。お前(次世代)は働き方のクオリティを上げてもっと健康的・文化的に豊かになれ」と、自分の労働環境をそのまま引き渡せるような状態になりたい…。
あかんわ。このまま渡せないよ。過重労働の再生産だよ。
私の父は中小企業勤めで私を育てた。私は「世代間で豊かになる」使命感があって、頑張って大きい企業入ったんだけどあかんね。経済的な豊かさと文化的な豊かさは両立できんよ。なんとかしなくては。