あしみの 日記

あした友達に話したいことを書いています

子供が生まれる

子供が生まれる

子供が生まれる。遂にここまで来たなと思います。

 

小学校5年生ぐらいからでしょうか、私は人生の目標が「就職して結婚して子供育てる」ことであることをはっきりと自覚していました。なんでその目標になったかは自分でもよくわかってないんですが、この目標が知らない内に自分に植えつけられていて、この目標の達成を自分の支えにして生きてきました。

占いとかやっちゃうバラエティ寄りのニュース番組ではなくNHKおはよう日本を見せられて育ったので、日本が誇る伝統的価値観・生き方が植え付けられてしまったのでしょうか(ここ笑うとこです)。登校中の友人との会話でテレビの占いの話題が出ると、話についていけずに困った思い出があります。

 

高校のときも、なんでか結婚願望は特別高くて相手を困らせていたように思います。

 

大学受験はなかなか大変だったんですが「大学落ちる→就職できない→結婚できない→子供も育てられない」と、自分に言い聞かせて必死に勉強していました(言い聞かせるというか本能が自分を攻めてくるというか)。「大学合格」に自分の人生の目標がかかっていたので必死になるのは当たり前でした。

 

大学では多くの人達と関わることで私の凝り固まった「男は就職して結婚して子育てして〜」とう価値観が、なんとか破壊され「あー人生は人それぞれなんだねー、別に就職しなくてもいいんだーいいんだよー男だから女だからって関係ないしー結婚だって自由だし子供だって自由だーはははー」って感じで目からうろこがぽろぽろ落ちました。子供は自分の考えが世界の常識だと錯覚してしまうから恐ろしい。

で、おもしろい所があって、価値観が破壊されたと言っても自分が目標とすることは変わらなかったんですよね。自分が当たり前に思っていたことが当たり前ではないと気づいても、自分が目指してきたものは他人には大した価値はなくて1つの選択肢でしかないことに気づいても、結局自分は元の目標を選択したままだった。

とは言っても、自分の状態・考えを俯瞰して見た上でそれを改めて選択していたので、これまでの視野の狭い状態とは明らかに異なった。世界の見え方が変わるというのはこういうことかと。

少年期から「男は就職して結婚して子育てして〜」が完全に内面化されていた私ですが、青年期にその「視野が狭すぎる自分」を俯瞰してみることができたのは非常によかった。もし俯瞰して見ることができないままだったら・・・と思うと怖いです。

 

そんで結婚もできまして。

結婚した頃は「子供はいなくてもいいな」と思ってたんですが、20代後半になって子供が欲しくなったんですよね。欲しくなったというか「子供を作る」という自分の目標が自分に訴えかけてくるんですよ、生物的な感覚でなく明らかに社会的な感覚として。

子供を育てることは経済的にリスクで、子供がいたら自分の時間なくなるし。子供はいなくてもいいんですよ。子育てより楽しいこといっぱいあるし。

でも27才になって欲しくなったんですよね。自分が少年期から持ち続けている目標が、「27才なんだから、そろそろ1人目でしょ?30才になる前に1人目でしょ?」って訴えかけてくるんですよ、「まず1人目をつくれ」と訴えかけてくるんですよ。

 

で、いよいよ子供が生まれるんですよ。

いよいよ生まれる。27年もかかってしまった。

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