子供の頃、大人たちの世界の見え方は子供のそれとは全然違うんだろうと思っていた。大人たちは子供の私とは多くのこと違っているように思えた。だから、子供と大人には明確な境目があって、何らかの通過儀礼で何かががらりと変わって大人になるんだろうと思っていた。
大人になったのか
私はもうすぐ30才になるのだが、これまで子供と大人の明確な境目などなかった。自分が大人になるタイミングなどなかったように思える。たぶん、子供と大人の境目は非常にあいまいで多くの人は自身の成長に対してそれを感じることはない。それにしたってもともと子供と大人などという恣意的でよくわからない区切りは本当はないのかもしれない。
例えば、「経済的に自立したら大人だ」といってしまえば簡単なのだが、私はここでは人間性に注目して話をしている。
人間性の成長は直線的であって、階段を上るような成長ではない。階段のような成長であれば、例えば「20段目まで登ったら大人だ」と区切りをつけやすいのだが、人間性の成長はそうはいかないだろう。
年下を敬う
年上を尊敬しろとはいうが、そんな必要はない。
粗末な年上がいれば、立派な年上もいる。また、粗末な同世代がいれば、立派な同世代もいる。粗末な年下がいれば、立派な年下もいる。粗末な年上を敬うよりも、立派な年下を敬うべきだ。
立派な部下だっているし、立派な後輩だっている。立派な新人だっている。上司と部下は役割が違うだけで、上司だからえらいのかというとそんなことはない。
当たり前なのだが、人を尊敬しようと思ったときにその人の年齢は関係ない。年上だからというただそれだけの理由で年上を敬うべきだという文化は好きではない。それよりも、敬うべき年下はいくらでもいる。
もうすぐ30才になるのだが、積極的に立派な年下を探して感謝して敬って生きていこうと思う。粗末な年上を尊敬するのはもう嫌だ。