子供のころ、というのは幼稚園とか小学校低学年のとき、自分の思い通りにならないことがあると泣いていた。泣いていると、親は「泣けばなんとかなると思って!!」などと私に言ってきた。子供ながらに私は「なんて侮辱的なことを言う親だ、こいつはもうだめかもわからん」とことを思っていたことを覚えている(当時は「侮辱的」という言葉を知らないだろうが、それに類似する感情を持っていた)。
わざと泣いているという侮辱
子供というのは泣きたくて泣いているのではなくて、なんだか知らないけど涙が出ちゃって泣いているのだ。だれにでも経験があるはずなのに、大人はそれを忘れる。しばしば大人は、涙はいとも簡単にコントロールできるように子供に語る。
先ほど挙げた「泣けばなんとかなると思って!」は、次のことを連想させる。「泣いたってお前の要求は飲まない、諦めろ。泣くのを止めろ」という意だ。「お前の要求を通すためにわざと泣いているんだろう、そんなことは止めろ」という意が少なからず含まれる。
そういう意が言葉の思いのすべてではなくとも、「わざと泣いていると指摘されること」は侮辱的だ。泣きたくて泣いているわけではないのだ。
涙はコントロールできるか?
これは大きな問題で、子供は結構傷つく。私は傷ついた。こっちは泣きたくて泣いているのではないのだ。お前も子供の頃はそうでなかったのか? 大人はそんなこと忘れてしまったのか? こんなにも泣くことは通常ではないのか? 私はわざと泣いているのではないのだ・・・。
大人は泣かないので(少なくとも子供からはそう見える)、自分だけが泣いていること、そしてそれを利用して何らかのものを得ようとしていると侮辱されることは悲しい。まして自分の親から侮辱されるのだ。
大人は、子供は泣きたくて泣いているのではないということを忘れてはいけない。