共感は人間の要求の1つで、もし相手と共感できたならかなり気持ちいい。
共感
他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを、自分も全く同じように感じたり理解したりすること(広辞苑)。
じゃあどうやって「共感」して気持よくなろうかと日々考えてるんですが、これを考える度に「コウモリであるとはどのようなことか」の話が頭に浮かぶ。
「コウモリであるとはどのようなことか」の話
この話、難しいんですけど「コウモリの気持ちを考えることはできても、あなたがコウモリになってコウモリがどう感じているかを知ることはできないよね」ぐらいの内容だと私は思ってます。
コウモリはどのように世界を感じているのか。(略)この問いで注意すべきなのは、人間がコウモリのような生活をしたらどのように感じるかということではない。それは人間である私にとってどのようなことか、という「私の視点」にすぎない。ネーゲルが問うているのは「コウモリにとって、コウモリであるとはどのようなことか」という「コウモリの視点」なのである。
コウモリが超音波の反響音で周囲の状態を把握しているという事実がわかっても、コウモリがその超音波をどのように感じているかは決してわからない。
コウモリはこの反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか……。コウモリの感じ方を問うことは出来るが、しかし人間はその答えを知る術を持ってはいない。
人間がコウモリ(反響音の感じ方)に共感することは不可能だということ。
人間同士なら「共感」できる?
「コウモリであるとはどのようなことか」の話って、残念なことに人間同士でも同じ。私は「あなたの気持ち」を感じたり理解することはできるけど、「あなたの気持ちをあなたがどのように感じているか」を感じたり理解することができないんですよ。
広辞苑によると「共感」は「全く同じように感じたり理解したりすること」とある。「全く同じ」とあるので、そうなるとこの世に「共感」なんて存在しないんですよ。
というのも、
「あなたの気持ち」を感じる私
「あなたの気持ち」を感じるあなた
の2つに分かれてしまって、別ものなんですよね「全く同じように感じ」ることはできない。「あなたの気持ちの感じ方」が2つできてしまう。
じゃあ人間同士でも「共感」できねーじゃねーか!!って、そうなんですよ、困った困った。
セロリ
以前、はせ おやさいさんが「共感」について書いていました。
相手は相手で聞いたことを自分の経験や知識に照らし合わせて自分の中で理解できるよう咀嚼しようとするわけじゃないですか、でも相手がしてきた経験とか得てきた知識ってわたしのそれと100%一緒なわけじゃないから、どうしてもズレは出ますよね。育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないですよね。
相手に「共感」を求めて話しても、相手は自分と違って「夏がだめだったり、セロリが好きだったりする*1」のでどうしてもズレちゃうんですよね。否めない否めない。
私はこれは「コウモリであるとはどのようなことか」問題だ!と勝手に思いまして、勝手に1人で盛り上がってました。
あなたが抱えている気持ちを想像できてもあなたがどのように感じてるかを感じられるのはあなただけなのが難しいところなんですよねぇ / “結局他人は他人だし「共感」を求めるのは難しいんじゃないって話 - インターネットの備忘録” http://t.co/c8v24VjMUx
— しゅな (@schnein) 2015, 3月 10
どうしたら「共感」できるか
じゃあ「共感」をどうやって得たらいいのかってことが問題です。
人間同士で「共感」できないのは「あなたの気持ち」を感じるのが「私」と「あなた」の2人いるのが原因でした。
なので、「気持ち」と「気持ちを感じる者」が1:1なら、こりゃ完璧に「共感」できます。
つまり、「私達の気持ち」を「私達で感じる」ことができればいい。
1.「私達の気持ち」の準備
「私達の気持ち」は簡単。「1人じゃできなくて、2人で同じことをやって完成すること」を相手とやりましょう。そのときに「私達の気持ち」が誕生します。 左右対象に2人でできることがいいです。組体操(左右対象のやつね)なんていいですね、その行為の男女の感じ方の差も少なそうだし。
・・・。
はいできた!「私達の気持ち」できた!!
2.「私達で感じる」の準備
「私達で感じる」が非常に難しいんですよ。さっきも言ったんですが、セロリ好きな人とセロリ嫌いな人ではセロリの感じ方が全然違う。
「私達で感じる」ためには、「私」と「あなた」を可能な限り同化する必要がある。
もちろん冒頭で言った「コウモリであるとはどのようなことか」と同じで「私」が「あなた」になることはできない、なので、可能な限り「私」と「あなた」のすべての感覚を近づけます。セロリの好みも矯正して、夏冬の耐久性も矯正します。
どうやって矯正するかって一緒にいる時間を増やすしかないです。
例えば、双子だったら生まれてからずっと同じ境遇にいるので、2人の感覚はかなり近くて「私達で感じる」ことが非常にやりやすいはず。
双子は生まれてからずっと同じだけど、「私」と「あなた」はもう大人になってしまって育ってきた環境が違うからどうしたらいい? ということになるんですが、今からでも大丈夫。
人生の総生活時間を全体として、2人で過ごす時間の割合を増やせば増やすほど、お互いのすべての感覚は近づいていく。
「私達で感じる」ために、私達を近づけていく。ここまで来たら、「共感」はもう目の前だ!!
あとがき
私自身も「共感」できるまであと何年かかるかわからないんですが、死ぬまでに「共感」できたらいいな〜と思ってます。
今まで「あれ?『共感』てこれか?」みたいなのはあったんですが、なんだかイマイチで「共感」というのはまた別のところにあるように思います。噂で聞いたんですが「共感」ていうのは、それを感じられたら「ああ!コレだ!コレが『共感』か!」ってはっきりわかるぐらい強烈なものらしいですよ。
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*1:SMAP「セロリ」