あしみの 日記

あした友達に話したいことを書いています

娘に課金しようと思ったらサービスを買収しなければいけないことに気づいて愕然とした。

生まれた娘がかわいいんですよ、かわいい、ちいちゃくてかわいい。

 

参考:おっぱいをあげたい 父親は母親の下位互換でしかないのか - あしみの 日記

赤ちゃんの手

かわいい子には課金したくなるじゃないですか、課金っていうか「お小遣いあげたいな〜」って思うじゃないですか。親戚の小さい子とか見ると「かわいいな〜お小遣いあげたいな〜」って思うじゃないですか。思いますよね。まぁ数百円なんですけど。でも貨幣価値がわからない幼児に現金あげてもあれなので親戚の子には絵本をあげました、あまり興味を示さず悲しかったですが。

 

我が子への課金欲

我が子も例に漏れず「あ〜かわいいな〜お小遣いあげちゃおうかな〜」って、ふと思ったんですよ。思いますよね。「与える喜び」ってありますよね。幼児に何かをプレゼントすると「ふわ〜」っとした気持ちになりますよ、「ふわ〜」って。

 

で、重大なことに気づいたんですけど、このかわいい子は、父であり会社員である私が扶養しているんですよ。

扶養 ふよう
たすけやしなうこと。特に、生活の面倒を見ること。(広辞苑 太字は筆者)

気まぐれにお小遣いをあげて一時の「与える喜び」を享受して終わりではなかった。この子が大人になるまで=私の扶養から外れるまで、私が課金しつづけなければいけないんですよ。そうとなったら課金ではなくてもはやサービスの買収と言ってもよかろう。扶養から外れるまでのトータル課金分(サービス全体)を年割(月割?日割?)で支払っていくのだ!

つまり、娘を「与える喜び」として消費するのではなく、娘のオーナーとなりその基本的な方針や重要事項を決定する必要がある。私は娘を消費する立場ではなかった。500円あげてる場合じゃねぇ!お前が支払うべきはおむつ代だ! 娘への「与える喜び」を消費するのは、おじいちゃんおばあちゃん親戚等の特権だったのだ。早く孫の顔が見たい。

 

我が子への経済的責任

子供が生まれる前、こんなとこを考えていました。「経済的に自立できるまで私が経済的責任を負うんだな・・・」と。自分の子供を養うのが親です、責任があります。その責任を受け入れてからあれして子供が爆誕する訳です(突発的強制的にその責任と真正面から向き合わされる「授かり婚」なるイベントもあるようですが、私はちょっと噂で聞いたことがある程度なので詳しくは知りません。怖いですね)。

 

しかし、先ほど述べました「課金欲(500円あげたい)」が、子供が生まれた後の日常で自然と発生したときに愕然としたんですよ。自分はまだ娘を消費する(500円あげて「与える喜び」を得る)立場にいたのかと。お前はじじいかと。

 

流動的な立場で複数の喜びを味わう

でもまあいいじゃないですか、オーナーが自社のサービスを享受したって。株主優待制度なんてありますし。

 

生活を保証する責任を負い重要事項を決定するオーナーでありつつ、与える喜びの消費者として娘に500円をあげる。

異なる立場の喜びを、流動的に味わうのもいいもんです。

 

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